韓国スタディツアー            2002年8月10日〜13日

韓国は3度目ですが、今回は朝鮮半島の歴史に詳しいの人達の企画によるスタディツアーに参加しました。
それにしても、バスの中が長い長い・・・・。ほとんどバスと言ってもいいぐらいです。(笑)


8月10日(土)
 
博多港集合。「パスポート忘れた。とってくる。」やっぱね。という人が、しっかりはずさずにこのように言ってくれました。横の人が「パスポートを調べるのを忘れとうっちゃないと〜?」案の定、彼が確かめてみると、すぐに見つかりました。一堂安堵の顔。
 高速船ビートルは、揺れない船で有名・・・・・・・のはずでした。3人がけの所にのり、早速日頃の職場での話を(あと二人は、同じ職場・・。でも、同じ職場と言っても、日頃なかなか話をする暇がないんですよねぇ)しっかり聞かせてもらいました。特にKさんは、相当たまってる様子です。「いるいる・・・。どこにでもいる。」という話も聞いたけど、それ以外もそこまでか〜〜給料泥棒〜〜!みたいな話もたくさんでした。で、後ろの席の福山似で老若男女誰にでも人気抜群のTさんが、「○○(私の事)さん。これ、南極の氷よ〜〜。」と船内販売のアイスコーヒーを自慢して見せてくれました。でも、「△△さんの言う事は、あんまり信用できんもんね〜〜。」とちょっと疑いの表情の私達。隣のHさんが、少しして「買って来てみるけん。」と言って、買って来てくれました。やっぱり〜〜南極の氷だった・・・・・・・。でも、味は???まあまあかな〜。なんて言ってるうちに、来た来た・・・。島に勤めていた時のあの感触以上の感じ。足をしっかしふんばりまくって、ぐ〜〜っと我慢。そう、揺れに揺れまくっていたのです。トイレにかけこむか・・とも思ったけど、なんとか到着までわずかという所で耐え抜く事ができました。私って・・・・すごい!?でも、ちょっとフラフラ気味。後で聞くと、周りのみんなも同じような感じだったそうです。そりゃあ〜〜白波すごかったもんな〜。あれは、4〜5mはありましたよ〜。島の時の船だったら、完璧に欠航でした・・・。

 
それから、釜山に行ったら必ず連れて行かれる食堂へ。そうそう、その前に一旦バスに行って荷物を載せた所が、ビデオが付いてない。今回は、スタディツアーなので、長いバスの中でもきっちり学習をします。ガイドさんとしっかり交渉してもらい、2時ぐらいの出発になるって事でした。さあ、昼食です。キムチ類をいただきながら、待ってるとビビンバが来ました。ちょっとだけ辛いのを載せて、スプーンで混ぜて食べます。ん〜〜、韓国の味。美味しい^^やっぱり、本場の味です。それにしても・・・いきなり、雨なのです。
 バスを変えてもらう事にしたので、運転手さんも代わります。彼の嘆きの言葉(だって〜〜仕事がなくなるやん)をガイドさんに一手にひきうけてもらって、(あまりにも申し訳ないので、金2封を包んだのです)急遽時間つぶしのため、チャガルチ市場・国際市場へ。



    

そして、国際市場で予定外の偽ブランド店に行って、買い物をされた方あり・・・爆。去年は、買い物ツアー(と言っても高い買い物ではありません。みなさん、鉄やら石やらをいっぱい持って帰られました。)だってので、この辺りは相当歩き回りました。7〜8往復は、したと思う・・・。それで、やっと大型バスへ。この大型バスの運転手さんも予定外なので、何も持たずにとりあえずココへ来らされたらしい。たまらんべ。すべて、旅行社の責任ですよ〜〜!
 いざ、出発。今日は、4ヶ所まわるはずでした。でも、縮小です。
 まずは、馬山(マサン)へ。 
 馬山元寇出港基地なのです。モンゴルによる東アジアの征服活動を行うために、朝鮮半島・中国・ベトナムを征服した後、日本へやってきました。その時、基地となったのが、ここでした。日本では、「神風」が吹いて難をのがれたと言われているけど、実際は、風はどこででも吹いているのです。ここからも「神国日本」という発想が浸透しています。遠くモンゴルから博多の西の方にやってきた・・って事は知っていたけど、その間の国の事なんて、教わった当時考えもしませんでした。ん・・・・考えの浅い子どもでした・・。その時にも、ここ韓国の人達は、たくさんの人達が犠牲になったんですね。今更ながら、びっくりでした。
 その後、ホテルに直行。温泉マークの付いた建物がいっぱいあります。温泉マークは、日本の物にそっくり。ふ〜〜ん、温泉がココにもあるの♪と思ったら、温泉マークは、ラブホテルだったのです・・・。
 荷物を置いて、夕食。カルビです。韓国の本場の焼肉は、ちょっと甘めです。しかし〜〜、今回は良く食べる男性が4人と女性が8人。それで、この時は、損しないために〜〜って事で、男女はっきりテーブルが分かれました。(爆)隣のWさん、緑の大きい唐辛子を食べて、「癖になりそう〜〜。」私は、唐辛子は駄目なので、ほんの少し。でも、美味しかったよ〜〜カルビ。ホテルに帰って、ちょっとお茶しよう〜〜って事になり、コーヒーをいただきました。う〜〜ん。うっす〜〜い。その後、部屋に帰り、ホールケーキまで食べた私達でした。この日は、『おんどり部屋』に泊まりました。敷布団薄いけど、セミダブルぐらいの大きさで、なかなかの寝心地でした。


8月11日(日)
 昨日、行くはずだった所へまず行きました。晋州(チンジュ)城です。日本が平和な国韓国を侵略しようとして、(平和な国だったので、韓国のお城は、攻めやすい造りだった)いろんな所を攻められ、加藤清正の武将達が、酒宴を張っていたそうです。キセン(いわゆる遊女)のノンゲが、自分の身体をはって、日本の将師が酒に酔っているのを見計らって、抱きついて一緒に川に飛び込んだそうです。自分の命を捨ててまで、国を守ろうとした立派な女性だという事で、小学校の教科書にも紹介されてるそうです。気丈なノンゲと酔いつぶれて、H魂炸裂の武将・・・。なんだかねぇ〜〜です。
川に飛び込んだ所にある岩          ノンゲ

 
お城から博物館にも行きました。ここは、大きな公園になっていて、と〜〜ってもきれいな所でした。そこで、知った事。耳塚って言葉と鼻塚って言葉。昔は、誰がどこで勝ったという事をはっきりさせるために、殺した人達の耳や鼻をきりとって、日本まで持って帰ったらしいです。子どものものまであったらしい。恐ろしいです・・・・・.。
 木浦(モッポ)ここは、気候も大変良く、実は、海がとってもきれいらしいのですが・・・、何しろバスの時間が長くて、滞在時間はほんの少しでした。キリスト教の熱心な信者のユンさんが、孤児院を開いており、一緒に働くようになった日本人女性田内千鶴子さんを愛しまいた。熱心なプロポーズの末、結ばれたらしいです。それで、二人は一緒に孤児院を経営するようになりました。なんと〜〜、夫のユンさんが朝鮮戦争で行方不明になり、それからず〜〜〜っと、彼を待って園長として、ここの経営をしたそうです。その頃の事なので、彼女に対する嫌がらせも相当受けたようですが、大韓民国文化勲章国民章を受けました。千鶴子さんが、亡くなった時には、市民葬まで行われたらしい。と、ここまでは初代園長の話なのですが、続ける子孫も大変だな〜〜と思います。始める人も大変だけど、それを淡々と続けていく・・・・しかも、今のこの時代に・・・。3歳から23歳までの子ども達がいるそうですが、やっぱり思春期の子ども達のお世話・・・大変らしいです。日韓合作の映画『愛の黙示録』という千鶴子さんの生涯を描かれたものがあるそうです。是非、ビデオを見てみたい・・・・なぁ・・・。それにしても、今の園長さんのお話しの合間に子ども達が配ってくれた梅ジュース・・・美味しかった。

       
 
 さぁ、今日はホテルで夕食。その後、そのままお出かけしました・・・。そこで、面白いことがありましたよ。まず、本屋さんへ。女性陣全員で行きましたが、誰もハングルは読めません。なので、想像の世界・・・。だけど、絵本やパズル等を買っていました。そして、辞書を二人が見ていたのですが、そこへ親切な青年が・・・。まずは、高い所にあったので、とってくれたそうです。そこへ私が通りかかりました。てっきり、店員さんかと思っていたら、通りがかりの青年。日本語も少し話せ、辞書について、説明してくれました。そこでひとしきり、お世話いただき、ま別の分野の所で、居合わせ、説明・・・。地図があったので、ココから来たのよ・・と言うと、彼は日本(九州)に来たことがあったのです。それで、また、少し盛り上がりました。中には、ポスターを探してもらったり・・・すっかりお世話になって、本屋さんを後にしました。次は、スーパーへ。なんと・・・、しばらくするとまた、彼が・・・。で、こっちがお世話になっているのに、二人は、彼(高校生)からCDとカセットをプレゼントされて〜〜〜。お礼にほんの少しのお返し(お菓子)をしました。さすが〜〜、儒教の精神がいきわたってますな〜〜って感じで、後にしました。私は、海苔を買いました。
 ホテルでは、今日はベッドの部屋どうぞ!って事で、この旅初対面の先生と同室。二人ともシャワーを済ませ、彼女がふいに「織田信長が、もっと長生きしたら、日本ももう少し変わっていたかもね〜〜。」彼女の理論は、信長は新し物好きな所があったけど、今も日本人はそういうのを嫌う所がある。(政治の面で)その辺が違ってたかもね・・だそうです。同感!!そして、寝る前、お互いの職場の事についていろいろと話したんだけど、彼女は、高1と小1のお子さんがいるらしいんだけど、小1の方が重度障害児だそうです。それにまつわる小学校入学へのいろいろな動きとかを聞きました。また、どんどん職場が厳しくなっていく様子もね・・・。どこも一緒だ・・・・やはり、おかしい方向に進んでいるな・・と思いつつ、眠たくなって寝ました。


8月12日(月)
 光州(カンジュ)へ。ここは、独立運動が起こった地です。この建物は、高校と一緒になっており、3月まで校長先生をされてた方が、説明してくれました。日本統治時代は、日本人が先生でした。その写真がいろいろな事を物語っています。しかし、独立運動の時の写真は一枚も残っていず、その当時の事を再現して、それを写真に収めたものが展示してあったりしました。優秀な人材が、今もたくさん育成されているというのを自慢げに説明してくれました。また、大統領は、必ずここを訪問するそうです。
 もうひとつの光州・・・。同じ所で1980年光州事件も起こりました。反政府運動です。その当時の写真が展示してありました。写真は語る・・・まさに、そんな感じでした。たくさんの死骸・・・・。子どもや親の写真を胸に途方に暮れる人々。こんな凄まじいことがあったんだと、感じさせられました。
 昼食は、サムゲタン。それは、決まっていたんだけど、お店が・・・・見つからない。やっと、見つけた所は、客がいない・・。ということで、急遽お店の人が、電話して、他の所から鳥が運ばれてきました。ゆっくりと待って、20分ぐらいかな〜。いただきました。鳥の形がそのままなので、ちょっと苦手なのですが・・・これは、栄養ありますよ〜〜。おかわりしまくり・・・の人もいました。
 井州(チョンジュ)へ。ここは、東学農民戦争が起こった所です。誰が発起人かわからないようにするために、名前が円の形で書かれていました。日本にもあるよね・・・。同じような事考えるんやね・・・。なかなか、のどかな所です。ここまで、ず〜〜っと雨。それで、だんだん、みんな写真とかもいいかげんになってきたりして、いかんいかん!!と言った所でした。

             
 これからが、また、長い旅です。そう言えば、この日ビデオで特記すべき事が・・・・。ビデオを見よう見よう!と思っても、ついついバスに揺られて寝てしまうのですが、『青春の門』が流れた時だけは、目がぱっちり。改めて、子どもの気持ちが良くわかりました・・・・ボソ。(差別語は、消されていました・・・。)さぁ〜〜。ここからが、また、すっごい長旅。びっくりするほどです。ソウルまで、5〜6時間かかったと思います。そして、最後の晩餐・・・と言いながら、海鮮鍋をつつきました。美味しかった〜〜^^。
 ソウルでは、荷物を置いた後、南大門市場へ。10時ぐらいから行ったので、開いてない所もたくさんありました。3時ぐらいが一番いいんだそうです。でも、まずは、ゆ〜〜っくり歩いて、海苔屋さんへ。交渉役は、やはり、Tさん。ここまで言うか・・・・みたいに食い下がりました。「お客さん、それじゃあ、儲け・・・ないよ。」と言われ、「じゃあ、ここより安い所、見つけたら、返しにくるよ!」と言い切り、ダンボールで買いました。それをまた、彼から値切ろうとする私達・・・・((爆。その後、いわゆるお土産やさんへ。ここで、ひとしきり買い物。友達や近所の人や、クラスの子ども達や、職場の同じ島の人達へ。それから、また夜食を食べに行く人もいたけど、ちょっと疲れたし〜〜、3人で帰りました。



8月13日(火)
いよいよ、最終日。まずは、西大門刑務所跡に行きました。前に来た人は、「きれいになっとう・・・。」「あそこは、日本人で、初めに来たとよ。」と言ってました。そういう声を聞きながら、当時のものがそのまま残っているひとつひとつのものを見ていきました。処刑場もそのままで、とってもこわかった・・・。その中でも、柳寛順(ユ グヮンスン)が15歳で(女性)独立運動に立ち上がり、3000人の万歳運動を先導した事で、処刑された事が、詳しく展示してありました。ここで、思ったのは・・・、日本人の中からは、こういう女性がいないな・・って事。なぜでしょう!?いろいろ考えられるけど、今後への課題です。
                       
 
いよいよ仁寺洞(インサドン)です。いよいよ、ショッピングのメイン!1時間だけの勝負なので・・・。今回は、下見ということで、しっかりした調べをして来てあるK先生にくっついていきました。そこらのお土産屋さんで見つけられないような、ステキな物を探し回りました。盛り上がった・・・・・。連れのFさんは、紙を(彼女は、ずっと書をしている)、私は、麻を150cm買いました。なかなかイイ買い物ができて、満足〜♪後で、Kさんにバスの中で買った物を見せてもらいました。趣味がいい〜〜^^。
 そして、タプゴル公園へ。ここは、3・1独立運動に関するものを見ていきました。

  
 その後、安重根記念館に行きました。彼について、全く無知だったのですが、(伊藤博文に関しても、あまり・・・)彼は、伊藤博文を暗殺した人です。で、一通り閲覧して、ビデオを上映して下さるという事で、見せていただきました。なんだか、久しぶりに感動を覚えました。日韓関係の事について、いろいろと今回知ったのですが、彼はどのようにしたかったのか・・・やはり韓国・中国・日本の3国が仲良くし、そのためには経済面でも仲良く(表現が、できない・・・・泣)していく事が重要である・・・・みたいな事が書かれた『東洋平和論』の説明ですこ〜しわかりました。とってもとっても優しい眼をした人です。これ以上、日本に思うままにさせてはいけない・・と思い、自分の命を犠牲にして、立ち向かっていった・・・。
       
いろいろな人の命と引き換えに、今の日本と韓国があります。やはり、将来の日韓関係のためにも、美味しい韓国料理をいただくためにも、学習を深め、自分の考えをもっていきたいと、また、決意を新たにしました・・・。
 そして、空港まで、走りノリピーそっくりのガイドさんともお別れし、なんと〜〜、出発の時間まで1時間以上。「こんなに免税店で余裕があるのはじめて〜〜。」と、ゆっくり歩き回りました。結局、な〜〜んにも買わなかったけど、仁川空港の概要を知ることができ、次への予習という事にしました。次は、やっぱり、買うもの決めて来ようっと〜〜♪

今回は、韓国のいろいろな時代の要所要所を回って行きました。決して観光コースには、ない所が多い旅でした。学ぶ事も多かったけど仁寺洞を知ったのが、最高の収穫かも・・・。